ダブルバインド
- chiharuf
- 2021年7月30日
- 読了時間: 3分
最近めくるめく変化する夏の空がきれいで、息子と保育園の帰りに自転車から「くも、きれいだね〜」と言いながら帰っています。

私は元々スポーツを長くやっていたし、なんなら家族でもバスケット準決勝のチケットが当たっていたので恐らく人生に一度きり、息子と観に行くのを楽しみにしていたのだけれど、いまの社会の「ダブルバインド」なあり方については、ものすごく消化不良気味でうまく言語化できず、しんどい気持ちで過ごしています。
*私は決してアンチスポーツでも、命をかけて想像できないぐらいの努力をしてきた選手や関係者を批判したいわけでもない(むしろすごく応援していた)ことを改めて伝えたい。
いまは世界的に見ても非常事態で、表向きには連携とか"United by emotion"とか平和とか謳われていても、なんだかそんなものが空疎に響いてしまう。いまも変わらず苦しい状況にある人たち(健康面や経済面や精神面など)が多く存在する中、どうしてもこれまでのようなメンタルでスポーツを観られないし、応援できなくなってしまったことが悲しい。ニュースで「誰々が金」などと見るにつけ、他の夢を諦めざるをなかった学生の子とか、「不要不急」と否定され続けてきた多くの他の分野(エンタメや音楽や飲食業界など)でいまも苦しんでいる人たち、そして国の代表とか人生一番の勝負などとは対極に位置しているけれど、人生にとってはかけがえのない家族との時間とか、どこかに旅すること、そんな地続きだったはずの人生の時間が失われてしまったことを思ってしまう。本当は私もこれまでのように、いやこんなご時世だからこそスポーツからいろんな勇気や感動をもらいたいけれど、そうできない自分に一番驚いている。そしてしんどい。
改めて、非常事態には、これまで考えなくてもよかったことを考えなければいけないのが嫌ですね。これまでの世界なら、みんながやりたいことをできて、そこには制約や自粛や優先順位もなく、自由でいられた。けれど、やっぱりこの2年余りの非常事態の中で、私たちは自分達のかけがえのない日常の暮らしや人生を「不要不急」と言われたことが重くのしかかっている。そしてこのオリンピック開催の流れで、スポーツ以外の自分や暮らしや、何か国を挙げてやる“一大事”(そしてその裏には巨大な利権)以外は「不要不急」な存在なのではないかと、感じてしまったことが尾をひいているように思う。「もう始まったんだから」とか、「いつまでもそんな事言ってるなよ」というふうには到底思えないのです。
かの有名な某アイドルグループの言葉ではないけれど、「スポーツや選手のこと」はどこまでも嫌いにならないし否定はせず、その裏にある利権やしがらみやうまく機能しない有象無象に対しては引き続き率直な意見を言い続けていこうと思います。
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